「宇宙兄弟」のヒットの秘訣は仮説思考!?「ぼくらの仮説が世界をつくる」
情報に埋もれがちな現代だからこそ、仮説を持つことが重要!
最近はわからないことがあると、すぐにスマホを取り出して調べることが多いと思います。そして調べた情報をもとに行動する。
もしかしたら、自分で考えるということが減っているのかもしれません。なんでもスマホにメモできる、また覚えるまでもなくすぐに調べられる、そんな環境でいると、考える必要がそもそもありませんからね。
その代わり、情報の海に溺れがちな気もします。何かを調べても情報が多すぎて、何を信じたら良いのか、どの情報が正しいのか、結局自分としては何がしたかったのかなどなど。
情報に踊らされているとも言えるかもしれません。
そうではなく、まずは「仮説を持つ」ことが重要だと本書では語られています。『ドラゴン桜』や『宇宙兄弟』その他大ヒット作を連発してきた編集者の佐渡島庸平氏が自身の仕事術を中心に書かれています。
特に言われているのが、「仮説を持つこと」です。「情報を集めてから仮説を作る」ことが多いと思いますが、そうではなく「仮説を持ってから情報を集める」ことが大切だと書かれています。なぜならそもそも、情報が間違っている可能性があるからです。
読者アンケートをはがきで行っている場合と、Webで行っている場合とで結果が異なり、前者だけの情報をもとに仮説を作っていたら、間違った意思決定をしていたという例が挙げられていました。
何でもすぐに情報が手に入る今だからこそ、情報を集める前に仮説を作り、出てきた情報を疑う姿勢が求められるのです。
永代橋から高層マンションを見て想像を巡らせる
「仮説を持つ」ことの大切さを説く本書は、高層マンションがよく見える永代橋で読んでみるのが良いかもしれません。
そもそもあの高層マンションの値段はどのくらいなのだろうか、どういった人が住んでいるのだろうか、どんな生活をしているのだろうか、などなどスマホですぐに調べる前に自分の頭のなかで仮説を持ってみてください。
夜に高層マンションを見てみると、明かりの付いている部屋が少ない。ということは、住んでいる人が少ないのか?ということはセカンドハウスで買う人が多く、実際に住んでいる人は少ないのであれば、地域の経済にはそんなに貢献していないのかな。
これが仮説を持つということの具体例です。仮説を持つことで、「セカンドハウス」を軸にオンラインでも調べることができます、逆に軸を持たない何を調べたら良いかわからないですよね。
また本書では「おもしろさ=質×親近感」と述べられています。
高層マンションに住む人にとっての「親近感」とは何なのか?他の地域に住む人とは違うのか?セカンドハウスを持てる人はどれくらい稼いでいるのか?どんな職種が多いのか?
近くにはベンチもあり、そんなことを考え、仮説を構築するにはピッタリな場所です。
夜歩きながら、仮説を構築するにもピッタリな場所!
夜は橋自体もライトアップされますし、高層マンションの夜景も綺麗ですので、考え事をしながら歩くにはピッタリな場所です。
情報の海に溺れず、自分の頭で考え、「仮説を持つ」ことの大切さを説く本書を読み、実践してみてください!
モチベーションの差を感じることが一番つらい
自分はやる気があるのに周囲はそんなことない。自分はmtgに毎週参加するのに、他の人はそもそも来ないし、来たとしても遅刻ばかり。タスクの期限を決めて割り振っても、それが完了することなく、結局自分がやるばかり。
こんな経験がある人は一度でも感じたことがあるだろう、「モチベーションの差が一番つらい」と。
スキルが不足しているのであれば、教えれば良い。ただし、モチベーションについては教えられるものではない。
モチベーションの差とは、結局のところ「優先順位」の差である。だから人によってはタスクよりも、バイト、飲み会、遊びを優先し、タスクが完了されない、自分自身はタスクを優先順位で最も高く設定し、終わっているというのに。
こうした優先順位の差を感じた時にどうすれば良いのだろう?
自分の精神衛生上は「優先順位の違い」を受け入れることが大事なのかもしれない。自分と他の人は違うと考え、優先順位の違いが生まれるのは仕方がないと考えるのだ。
こうすることで一時的には精神が安らぐかもしれないが、本質的な解決ではない。
最終的にはやはり自分と同じ優先順位を持つ人を探すしか無いのかもしれない。そしてその探して見つけた人と一緒に何かを取り組むのが最も楽しいのだろう。
そんな人を見つけられることを期待しながら。
「やりたいこと」の見つけ方
「あなたのやりたいことは?」と就活などで質問されることがある。小さい頃から、「将来の夢は?」とか「将来何になりたいの?」と考えさせられる。
でも「やりたいこと」ってそもそも何なのだろう。そして、その「やりたいこと」とは変わらないのだろうか。
そもそも「やりたいこと」とは?
もちろん、子どもの頃のやりたいことであった「サッカー選手」という夢を叶える人もいる。でもその夢を叶えている期間は長くても35歳前後程度までだ。その後の人生の方が長い。
結局のところ「やりたいこと」とは自分がその時に持っている手札、もしくは持つことができそうな手札の中で一番面白そうとか何となく楽しそうと思ったものを選んでいるだけのように思う。だって、やったことないことを「やりたいこと」とは思いようもないので。
趣味も同じだ。サーフィンをやったことがないのに、サーフィンを趣味にしたいとは普通は思わない。自分が経験したことの中で面白いとか楽しいとか、これをやっていると他の人から尊敬を集めそうといったような理由で選んでいるだけだ。経験したことの手札から選択肢を選んでいる。
「やりたいこと」は変わっていくものでは?
経験したことの手札から選択肢を選んでいるのだとすると、手札が増えていったら「やりたいこと」は変わって当然である。これまでは「ダンス」が最も楽しいと感じる手札だったが、新たに「ヨガ」を経験して手札に加えたことで、「ヨガ」のほうが「ダンス」よりも楽しいと感じる手札に変わるというように。
そのため、今ある手札に固執する必要もない。
「やりたいこと」の見つけ方とは?
「やりたいこと」は自分が持つ手札の中で選ぶことになるので、手札をいかに増やせるかが重要なのかもしれない。手札を増やすには、もちろん意図的に様々なことを経験するというのもひとつの手段であろう。
しかし、中途半端に経験をしてもそれに対して自分が本当に面白いと思うのか、また楽しいと思うのかは判断できないと感じる。目の前のことに本気で打ち込んではじめて、その目の前のことが面白いのか、楽しいのかがわかり、その目の前のことを起点にまた違う世界を見つけ、そこでまた面白い、楽しいの判断をしていく積み重ねなのだろう。
目の前のことに浅く取り組み面白くないと判断すると、他の事柄にまた中途半端に取り組み、また浅いところで楽しくないと判断し、また他の事柄に取り組む。「自分にはイ今の目の前のこととは違ったもっとおもしろいことがあるはずだ」と考え、そんな悪循環にハマることが散見される。
結局、「本気で目の前のことに打ち込む」ことこそが、「やりたいこと」の最良かつ最速な見つけ方なのかもしれない。「考えるな感じろ」の世界に近いのかもしれない。
「やりたいこと」を見つけるためにいろいろ本を読んだり、様々な経験をすることよりも、本気で目の前のことに取り組む、そんなことが「やりたいこと」の見つけ方なのかもしれない。
会議しただけで仕事をしたつもりになる病に関して
会議、そう響きが良いのかもしれません。「会議」に参加するだけで、仕事をしている気になる。そんな不思議な魔力がこの会議にはあります。
そもそも会議って必要なんでしょうか?何のためにやっているのでしょうか?
会議の目的は2つだけしか無いと思います。
・情報共有
・意思決定
この2つにしても、会議はあくまでも手段であり、他の手段で目的が達成できるのであれば、会議はそもそも不要だと思います。というか、会議を開催しない状態が理想状態とも言えると思います。
会議に参加してあなたは何をしていますか?参加して発言していますか?聞いているだけですか?
また、定例という名目で特にやることが無いのに会議を開いたりしていませんか?その会議って本当に必要なんだっけ、と考えたことはありますか?
実はあなたが出ているその会議は不要なのかもしれません。だって、何も生み出していないんだもの。
会議が本当に必要なのかを一度考えてみませんか?