「やりたいこと」の見つけ方

「あなたのやりたいことは?」と就活などで質問されることがある。小さい頃から、「将来の夢は?」とか「将来何になりたいの?」と考えさせられる。

でも「やりたいこと」ってそもそも何なのだろう。そして、その「やりたいこと」とは変わらないのだろうか。

 

そもそも「やりたいこと」とは?

もちろん、子どもの頃のやりたいことであった「サッカー選手」という夢を叶える人もいる。でもその夢を叶えている期間は長くても35歳前後程度までだ。その後の人生の方が長い。

結局のところ「やりたいこと」とは自分がその時に持っている手札、もしくは持つことができそうな手札の中で一番面白そうとか何となく楽しそうと思ったものを選んでいるだけのように思う。だって、やったことないことを「やりたいこと」とは思いようもないので。

 

趣味も同じだ。サーフィンをやったことがないのに、サーフィンを趣味にしたいとは普通は思わない。自分が経験したことの中で面白いとか楽しいとか、これをやっていると他の人から尊敬を集めそうといったような理由で選んでいるだけだ。経験したことの手札から選択肢を選んでいる。

 

「やりたいこと」は変わっていくものでは?

経験したことの手札から選択肢を選んでいるのだとすると、手札が増えていったら「やりたいこと」は変わって当然である。これまでは「ダンス」が最も楽しいと感じる手札だったが、新たに「ヨガ」を経験して手札に加えたことで、「ヨガ」のほうが「ダンス」よりも楽しいと感じる手札に変わるというように。

 

そのため、今ある手札に固執する必要もない。

 

「やりたいこと」の見つけ方とは?

「やりたいこと」は自分が持つ手札の中で選ぶことになるので、手札をいかに増やせるかが重要なのかもしれない。手札を増やすには、もちろん意図的に様々なことを経験するというのもひとつの手段であろう。

しかし、中途半端に経験をしてもそれに対して自分が本当に面白いと思うのか、また楽しいと思うのかは判断できないと感じる。目の前のことに本気で打ち込んではじめて、その目の前のことが面白いのか、楽しいのかがわかり、その目の前のことを起点にまた違う世界を見つけ、そこでまた面白い、楽しいの判断をしていく積み重ねなのだろう。

 

目の前のことに浅く取り組み面白くないと判断すると、他の事柄にまた中途半端に取り組み、また浅いところで楽しくないと判断し、また他の事柄に取り組む。「自分にはイ今の目の前のこととは違ったもっとおもしろいことがあるはずだ」と考え、そんな悪循環にハマることが散見される。

 

結局、「本気で目の前のことに打ち込む」ことこそが、「やりたいこと」の最良かつ最速な見つけ方なのかもしれない。「考えるな感じろ」の世界に近いのかもしれない。

「やりたいこと」を見つけるためにいろいろ本を読んだり、様々な経験をすることよりも、本気で目の前のことに取り組む、そんなことが「やりたいこと」の見つけ方なのかもしれない。